30代で失業者になった男のキャリアデザインについて

2020年7月24日

私は今、滋賀県の家具メーカーで、法人営業をやっています。

今ではそれなりに安定した暮らしができています。

しかし30代の中頃くらいまでは、社会の底辺を這いつくばるような日々を過ごしていました。

あの頃のことは、もう思い出したくありません。

しかし30代で失業者になってから、なんとかキャリアデザインを取り戻しました。

それまでのことを、体験談形式で解説します。

ふとんメーカーに就職

私は大学を卒業後、食品会社や文房具会社を転々としていました。

26歳のころ、ふとんメーカーに就職。

ようやくこの会社で落ち着きました。

職種は営業職です。

入社して数年間は、なかなか成果を出せずにいました。

しかし4年目あたりから、営業成績は上向きます。

人よりも時間はかかりましたが、営業職として立派にやっていけるようにいなりました。

その後、個人営業から法人営業へと異動。

法人営業には適性があり、それなりに優秀な成績をおさめていました。

しかし私が28歳になったころ、会社自体が危うくなってきました。

当時はニトリやIKEAなどが台頭して、市場の勢力図を書き換え始めたころ。

ふとんメーカーである私が勤めていた会社は、かなり厳しい状態に追い込まれていました。

私たちに課せられる営業ノルマも、徐々に厳しくなってきます。

それでも営業職たちは、精一杯の成果を残し続けていました。

しかし私の31歳のとき、とうとう会社は経営破たんしてしまいました。

会社は、関連会社への就職をあっせんしてくれましたが、あまり条件はよくありません。

私は就職をせず、一度失業者にならざるをえませんでした。

転職活動

失業保険を給付してもらいながら、私は転職活動へ打ち込みます。

しかし再就職の道のりは、たいへん厳しいものでした。

私の履歴書は、お世辞にいもキレイだとは言えません。

すでに3回の転職を経験しており、さほどよい大学も出ていません。

さらには31歳という年齢もあり、どこの企業も面接の機会さえ作ってはくれませんでした。

それでも32歳のとき、ふたたび営業職として就職します。

新しい就職先は、法人向け工場設備を作っている会社です。

ここでふたたび営業職として、働くことになりました。

しかしこの会社での経験は、社会人時代の中でも最悪なものです。

とにかく自社が扱っている製品のことが、まったくわかりません。

いったい何をするための設備なのかもわからないし、興味がないので頭にも入ってきません。

ふとんメーカーとは違い、求められる専門的な知識が、圧倒的に多かったのです。

加えてしかし約2年のブランクが、重くのしかかりました。

しばらく営業から離れていたせいで、トークや技術はすっかりキレを失っていたのです。

仕事ができない31歳の営業職に、居場所はありません。

毎日、年下の上司から怒鳴られる日々が続きました。

このときの屈辱は、今でも忘れられない記憶として残っています。

せっかく就職できたというにもかかわらず、私はわずか半年で、この会社を退職することになりました。

再度の就職

さらに履歴書を汚すだけで、退職してしまった私。

これで私は、前よりもさらに厳しい転職活動へ挑まざるを得なくなりました。

キャリアデザインは完全に崩壊していました。

年齢は32歳。

30代の男性が、これ以上失業した状態でフラフラするわけにはいきません。

おそらく次の就職が、ラストチャンスでした。

ある日私は、ふとんメーカーで働いていた仲間たちと会いました。

彼らもそれなりに苦しい思いをしたようですが、なんとか元気そうです。

私は彼らに対して失業している現状を打ち明けます。

するとそのうちの一人が、「コーチング」を進めてきました。

彼の言うコーチングは、「転職とその後のスタートダッシュをサポートする」というものです。

そして彼自身もコーチングを利用することで、まとも30代で失業しかけたものの、なんとかキャリアデザインは守れたとのこと。

私はそのコーチを紹介してもらい、コーチングを受けることにしました。

私はキャリアデザインに対して悲観的だったのですが、コーチは終始前向き。

特にふとんメーカーでの法人営業時代の功績は、大きな武器になると、嬉々として話していました。

私はコーチとともに、何を売る企業に就職するか考えます。

結論として、「家具関連のメーカー」を目指すことになります。

それから私は、コーチの指導の元、面接対策に取り組みます。

実践面接に加え履歴書の作成、そして、言葉一つひとつを、徹底的にこだわって選びました。

そして私は、滋賀県を主体に展開している家具メーカーへ就職することになります。

まとめ

結果として、私は家具メーカーで、すでに3年勤めています。

法人営業として、とりあえず誰にも文句は言われない成果を挙げられています。

一時は「一生フリーターかもしれない」と考えていたので数が、なんとか命拾いしました。

もう二度と、このキャリアデザインを傷つけるようなことはしたくないです。

30代で失業して、そこからキャリアデザインを作り上げられたのは、コーチングの存在が大きかったです。

コーチングのおかげで、あの絶望的な状況でも頑張れました。

コーチングがなければ、もしかしたら悲惨な人生を歩んでいたのかもしれません。