45歳主婦。失業したことで好転した人生
現在45歳になった主婦の私。そんな私は43歳で失業して、どん底の状態を味わってきました。そんな私は主人が営んでいる洋食レストランの手伝いを始めたことで幸せな日々を送っています。今の人生に至っている私の人生について、書いていきます。
私は大学に入り、経済学を学んでいました。経済のことを学び始めた頃にはコンビニ業界の人気が高かったため、地域に密着したコンビニに就職することにしました。当時はコンビニでの企画開発を行うことになり、新しい商品の開発を行っていました。当時はいろいろな発想がでてきて、独自性のある唐揚げやハンバーグなどの企画を行っていたこともあり、企画することが大好きでした。また、他のコンビニにはないことも取り入れようと必死に頑張っていました。コンビニの商品企画で15年続けていましたが、徐々に大手のコンビニでの商品企画に対する動きが大きくなりはじめ、店舗数が拡大し始めたため、なかなか勝てなくなってしまいました。そんな中でレストランを個人で経営している旦那と結婚することになり、出産に伴い出産休暇を取ることになりました。休暇を取っている間に商品企画へ注力しない状況になっていたこともあり、復帰後には、地域の店舗でマネージャーとして勤務を始めることになったのです。企画開発していた頃とはまた違う働き方をしていましたが、マネージャーを通じて地域のお客さんと交流を深めることができました。店舗マネージャーになったことは私にとって大きなキャリアデザインの形成になりました。当時は人気があったころから地域のために頑張ろうと士気が高まっていたのです。ところが、次第に大手コンビニへの人の流れが近くにできたことで、地域の方の流動が変わってしまいました。そして、会社として経営が厳しくなったことで、勤めていたコンビニを閉業することになってしまったのです。しかも、私のポジションがない通知を受けたこともあり、解雇されてしまいました。そして、43歳のときに失業したのでした。40代で失業した私としては、なかなか仕事を紹介いただける機会もありませんでした。これから路頭に迷うと思って落胆してしまいました。そんな中、主婦として頑張っているときに友達から「コーチングというものがあるから、受けてみたらどうか?私もコーチングを受けて考え方の方向性が変わったよ。」と勧めを受けたことから、コーチングを受けることにしたのです。
コーチングの中では、コーチから「これからの目標はどう考えてますか?」と聞かれたことから、旦那の仕事を手伝いたいと考えました。そして、旦那からも了解もらい、レストランの手伝いを始めることにしたのです。
旦那の洋食レストランの中では掃除や食器洗いの外段取りを行うことにしました。コンビニではあまり食器洗いをしていなかったこともあり、食器洗いだけをするだけでも大変な状況になってしまいました。周りのメンバーも必死で頑張っていることもあり、頑張り続けようとしました。
そんな中でレストランの経営が少し悪くなり始めていたのです。そして、改めてコーチングを受けることにしたのです。その中でコーチから「うまくいってますか?」と聞かれ、現状を素直に話すことにしました。そしてコーチから「そんな中で、どうやったらうまくいくと思いますか?」と聞かれたのでした。そんなときに、コンビニで商品企画していたことを思い出し、実行しようと考えたのです。
旦那は少し考えが固まっていたこともあり、私がメニューを考えることにしました。当時チーズが好きだった私はラクレットチーズをハンバーグにかけた新しいメニューを考えることにしたのです。チーズ業者探しに最初は戸惑いましたが、レストランの味が好きだった業者からラクレットチーズを提供いただけるようになりました。同時に新しい試みと一緒に食器洗いに負担がかかっていたことがあって、食器洗浄機も購入することにしたのです。そして、レストランでラクレットチーズを使う料理を取り入れ始めると、近所ではかなり珍しいラクレットチーズをかけるということに興味を持ったお客さんがいっぱい集まるようになったのです。そして、これまで赤字だったレストランを黒字化することにできたのです。このことをコーチに伝えると、「あなたの想いが実現してよかったですね。」とフィードバックいただいたのでした。旦那の仕事を手伝い始めたことから、商品企画のことを活かして活躍できている私にとってはキャリアデザインが築けたきっかけになりました。これからも新しいメニューを取り入れて、地元のお客さんから喜んでいただくメニューを考えたい気持ちでいっぱいです。
45歳になってから人生が好転したのは、コーチングを受けたことがきっかけになりました。これまで自分の考えを自分から発することで、私自身のスキルや方向性を定めることができたと振り返っております。