40代男性が、失業してからキャリアデザインするには?

私は現在、とある外資系メーカーで働いています。

昔から外資系でバリバリ働きたいと思っていたので、今の環境には満足しています。

収入もそれなりで、おそらくかなり恵まれている部類でしょう。

しかし私の外資系キャリアは、地獄のような経験を繰り返した上に培われたものでした。

一度の失敗が、地獄のような現実を引き寄せる、それが外資系で働くということなのです。

具体的に言うと、私は40代して失業し、一度キャリアデザインをぶち壊しにしています。

それをなんとか再構築した、という人生です。

私の人生を、体験談としてお話しします。

ぜひ、参考にしてください。

転職までの様子

私は大学を卒業後、大手の広告代理店に就職。

そこで5年ほど勤務したあと、外資系のメーカーに転職。

私は外資系としてのキャリアデザインを歩み始めていました。

広告代理店時代の経験を買われ、広報部に配属されます。

広告代理店で培ったノウハウは、私の身を助けてくれました。

私はすぐに広報部に慣れて、一人前として認められるようになりました。

外資系のメーカーは、待遇がたいへん優れている組織。

おそらく同年代では、1番か2番の収入を得られたいたのではないかと考えています。

特に大きなトラブルもなく、10年間、広報部で働き続けました。

外資系特有のヒリヒリとした緊張感。

そして、実力があれば年齢関係なく評価される空気感。

そんな中で働き続けるのは大変なことなのですが、むしろそれを楽しんでいる部分さえ、私の中にはありました。

私はすっかり、外資系サラリーマンとなっていました。

38歳になったとき、広報部からマーケティング戦略室へと異動します。

マーケティング戦略室では、メーカーの商品を売り込むために、ありとあらゆる手段を考案。

経営の根幹に近い場所であり、たいへんなやりがいがありました。

大きな失敗

私はが40歳になったこと、大きなマーケティングプロジェクトを任されました。

競合他社が独占しているシェアを、奪い取ってやろうというプロジェクトでし

た。

このプロジェクトが成功すれば、私は昇進に向けて大きく前進します。

今まで競合他社が独占しているシェアは、数十年間、どこの会社も手を出せない存在。

もしシェアを奪えたなら、数十年ぶりの快挙となるわけです。

しかし結論から言えば、私のプロジェクトは大失敗に終わりました。

わかりやすく話を簡素化すると、

  • ハイリスクハイリターンなマーケティング手法を考案し、実践
  • マーケティング手法が通用せず、シェアは奪えず
  • さらに自社製品の評判を落とし、一部優良顧客が離脱する

という出来事でした。

外資系で働いている人ならわかると思いますが、これは「会社の一員として死ぬこと」を意味します。

私に二度とチャンスは巡ってきません。

外資系キャリアデザインを諦め、退職することにしました。

40代にして、失業してしまったのです。

転職活動

しかし外資系で働いていたという経歴は、決して悪いものではありません。

40代で失業しても、もう一度キャリアデザインを作り直すチャンスはあります。

が、一度「死んでいる」外資系サラリーマンにとって、茨の道であることは変わりありません。

私は万全を期すため、「外資系キャリアデザイン」を専門とするコーチと契約しました。

コーチは、同じく外資系企業で、20年間生き残ってきたやり手です。

彼のアドバイスを受けながら、転職活動に取り組みました。

私とコーチが出した方針は、「前職と同じく、メーカーに就職する」ということ。

40代という年齢を考えれば、異業種へ転職することは得策ではありません。

いくらなんでも遅すぎます。

私は35社の外資系メーカーの選考に挑みました。

そして34社は、いいところまで残りながら、最終的には落とされます。

原因は年齢か、それとも私がかつて大失敗しているのを察知しているかのいずれかです。

「流石にこれは無理なのでは」と思い始めました。

コーチに「外資系ではなく、普通のメーカーでもよい」と伝えます。

しかしコーチは、「全く諦める状況ではない」ということを、極めて論理的に解説してくれました。

私は半ば諦めながら、35社目の選考に望みます。

そしてとうとう私は選考を通過し、外資系サラリーマンとおして返り咲いたのです。

40代で失業して、キャリアデザインは崩壊。

しかしコーチングのおかげで、もう一度戦えるようになったのです。

まとめ

そして冒頭で述べたとおり、私は現在も外資系メーカーに勤務しています。

しかし実は、他のメーカーに移ろうかとも考えているのです。

国内の中小企業メーカーから、顧問として来てくれないか、という話が来ています。

外資系キャリアを捨てるのは怖いですが、顧問としてのポストはたいへん魅力的です。

この件についても、コーチと相談しながら進めています。

思えばコーチングに助けられた人生でした。

外資系で戦うにしても、顧問となるにしても、コーチにはずっと付いていてほしいものです。