50代で失業した、男性のキャリアデザインにおける体験談

私は今、夫婦で大家業を営んでおります。

香川県の高松市に住まい、いくつかの物件を有し、それを貸し出しています。

そして、のんびりとした時間を過ごしております。

しかし私たちがこの生活を手に入れるまで、非常に厳しい道のりがありました。

実は私は、50代で失業し、キャリアデザインを棒に振っております。

そこからなんとか大家業として再起した、というわけです。

今回は私の半生と、キャリアデザインについてお話しします。

失業するまでの出来事

私は27歳のころ、香川県では著名なホームセンターに就職しました。

たいへん社員想いな組織であり、私たちは満足して働いておりました。

27歳と若く体の大きい私は、たいへん重宝されていたと記憶しています。

ホームセンターは、とかく力仕事。

そんな中、私のように体の大きいものは、貴重な人材だったのです。

自分が社会から必要とされていることを強く感じた若かりし頃は、今考えれば素晴らしいものでした。

33歳のころ、私はフロア長を任されます。

実質、店のナンバー3でした。

この頃に結婚し、私のキャリアデザインは、たいへん充実しておりました。

ホームセンターの仕事というのは、年功序列の影響が大きいものです。

私はそれによって、少しずつ昇進していくのでした。

私の勤めていたホームセンターでは、最終的には本社で働くか、それとも店長を目指すかという分かれ道がありました。

本社で企画や戦略など、経営の根幹に関わってみたかった私は、本社への栄転を目指します。

そして38歳のころ、高松市本社へ栄転。

以降私は、新人教育を担当する部署で働くこととなります。

私は新人教育という仕事にやりがいを持ち、今まで以上に熱を入れて働いておりました。

45歳のころ部署の課長にまで昇進。

以降53歳まで課長として働きます。

しかし53歳を迎えたころ、私はリストラされてしまいました。

人員削減のため、私のような人件費がかかる人間は、次々とリストラされたのです。

私は50代にして失業者となって、路頭を迷うこととなりました。

私のキャリアデザインは、この時期にして大きく狂ってしまいます。

しかし、一人息子はすでに独立しており、住宅ローンも完済しておりました。

確かに重大なことではありますが、決して人生の終わりではありません。

退職金も満額支払われましたし、家内が蓄えも作ってくれていました。

多額の失業保険も得られたので、特別急ぐ必要はありませんでした。

就職活動

しかし、生きがいだった仕事を失った結果、私の心にはぽっかりと穴が空いてしまいました。

私は生きがいを見つけるため、就職活動に取り組みます。

50代で就職活動に取り組むというのは、たいへん厳しい道を歩むということ。

当然、うまく行くはずがありませんでした。

70社以上に履歴書を送ったが、採用されません。

途方にくれた私は、何かよい方法はないかと悩んでおりました。

コーチングとの出会い

そんなとき、コーチングというものに出会いました。

彼は「起業」を専門に取り扱う経営コーチです。

経営コンサルタント会社を退職後、起業家を支援しているのでした。

私よりも一回り以上若いというのに、たいへん聡明な人物です。

私は、「就職が駄目なら起業すればよいのでは」と考え、彼に相談を持ちかけました。

我が家は、暮らしこそ質素ではありました。

しかし向こう10年ほどは、夫婦食うに困らぬ貯蓄があったのです。

コーチは、「それだけの貯蓄があれば、大家業が始められますよ!」と、嬉しそうに語りました。

大家業など、考えたこともありません。

しかしコーチの話を聞く限り、リスクも低く、しかも継続的に収入が得られるとのこと。

これが怪しい不動産屋の話なら、決して相手にはしません。

しかしコーチとして働いている彼にとって、私の成功はメリットとなるはず。

私は早速彼の言うとおり、小さな物件を買い始めました。

最初は、400万円の小さな一軒家。

月々5万円で貸し出すという腹づもりで購入したのですが、やはり恐ろしいものでした。

しかしコーチの言うことは、間違いないと信用できるものでした。

意を決して、物件を購入します。

起業

私はタクシー運転手として働きながら、少しずつ物件を買い集めます。

そして物件を自力でリフォームして、それを売りに出しました。

実家も貸し出し、我々夫婦はマンションへと住まいを移します。

すると、約2年ほどで、夫婦が食うに困らぬ家賃収入を得られるようになりました。

これで老後までは、安心して過ごすことが出来そうです。

私の場合は、多少の貯金があったため、大家業としてのキャリアデザインを作ることができました。

50代で失業しても、努力次第ではなんとかなるものです。

今は夫婦で、のんびりと暮らしております。

ひとえにこれは、コーチングをしてくれた彼のおかげであると言っても、過言ではありません。

ホームセンター業界のことしか知らなかった私に新たな知見を与えてくれた彼には、感謝の念が尽きません。