独立キャリアデザインを描いた料理人の男性について

2020年9月4日


私は、小さな頃から「自分の店を持ちたい」という夢を持っていました。

実家は料理店を営んでいました。

小さい頃は、カウンターに立つ父の隣でずっと過ごしています。

そんなことをしているうちに、もはや「大人になること=お店を持つこと」という価値観を持つようになりました。

本来なら私も跡継ぎになるはずでしたが、それは兄に譲ります。

私は、私なりのお店を持つ努力を始めます。

私は調理師学校を卒業したあと、とある小料理店に就職しました。

小料理店では、ひたすら料理の腕を磨くことに打ち込みます。

小料理店での日々は、たいへん充実したものでした。

毎日が新しい発見で、腕前も伸びていくのを体感しました。

料理長は私のことを、すごく可愛がってくれる人です。

私は料理長から、さまざまなことを学びました。

24歳になったころ、私はキッチンでもそれなりのポジションが与えられます。

給料も大きく上がりました。

同時に「この店を継がせられるのでは?」というような評価まで受けるようになります。

しかし26歳のころ、私は独立することにしました。

貯金は500万円。

私はこのお金を元手に、大阪市内で小さな料理店を開きます。

これで私は、晴れて自分のお店を持つことになりました。

独立のキャリアデザインとしては、順調そのもの。

私は人生のピークにありました。

しかし、独立するということは、決して甘くはありませんでした。

とにかくお客が来ないのです。

私はなぜお客が来ないのか、真剣に考えました。

料理の味は、決してライバル店には負けていません。

接客のスキルも、相当なレベルに達していたはずです。

私は価格を下げたり、メニューを増やしたり、いろいろと工夫しました。

それでもお客は、あまり来てくれませんでした。

結局私は、店を開けて1年足らずで、閉店することになります。

500万円の貯金はわずか100万円にまで減少。

失意のまま、大阪を後にしました。

二度目の独立

私はふたたび、以前働いていた小料理屋へ戻りました。

そしてもう一度、修行し直すことに決めたのです。

しかし、どう考えても料理の腕前には、問題がありませんでした。

料理長は私のことを認めてくれているし、若い料理人たちも私を目標としてくれています。

何がなんだかわからないまま、1年が過ぎました。

私はようやくこのとき、「料理人であること」と「経営者であること」は、全く違うということに気がつきます。

今考えれば、当たり前のことです。

しかし当時は若く、「味がよければどうにでもなる」と、本気で考えていたのです。

もう一度やり直そうと、私は修行に打ち込みます。

さらに経営の書籍なども読み、少しでも知識を高められるように努力しました。

小料理屋に戻って3年。

私は30歳になっていました。

料理長は突然、私を呼び出し、「金は出すから、自分の店を持て」と言いました。

「お前ならかならずできる。金を返すのはいつでもいい。しかし若いうちがチャンスだ、今すぐにでも料理店を出せ」と。

私は料理長に心から感謝して、料理屋を開くことにしました。

前回は自分のお金なので、失敗しても自分にしか迷惑はかかりません。

しかし今回は、料理長のお金(と、自分の貯金)が資本です。

絶対に失敗するわけには行きません。

幸いにも私は、ある程度経営のことを理解できるようになっていました。

そしてさらに私は「独立キャリアデザイン」を専門とする経営コーチに指導してもらうことにしました。

経営コーチは、今まで40店舗以上を手がけてきた、ベテラン経営者。

料理人でこそありませんが、飲食店や料理店を、いくつも繁盛させています。

私は経営コーチに、

  • 仕入れ
  • 値付け
  • 教育
  • 立地
  • 集客経路の確保
  • リピート率の向上方法

など、経営の根幹となる知識を叩き込まれました。

私は彼の指導どおり、お店を作っていきます。

場所は、かつて私を完膚なきまでに叩きのめした、「大阪」です。

私は大阪という街で、もう一度勝負することになります。

現在とまとめ

現在、私のお店は、開業5周年を迎えます。

経営者としての学びが功を奏して、なんとか安定した経営が実践できています。

大阪では、「なんばで3年飲食店をやれれば、どこでも生きていける」と言われます。

その噂話によれば、私はどうにか経営者として、ちゃんとやれているようです。

料理長にも、返済できる状態になっています。

とはいえ料理長は、「あの金はやるつもりで渡したものだ。返す必要はない」と言って受け取ってはくれません。

つくづく料理長には、一生頭が上がらないものです。

これが私の、独立キャリアデザインです。

思えば失敗ばかりで、周りの人間に助けてもらってばかりでした。

料理長と、そしてコーチ。

二人がいなければ、私はここまでお店を繁盛させられてはいなかったでしょう。

料理長のような人は、なかなか出会えないものです。

私は、相当に運がよかったのでしょう。

しかしコーチングは、誰にでも受けられるものです。

もし独立を考えているのであれば、ぜひコーチの力を借りるのがよいのではないかと、私は考えます。