大学からキャリアデザインに熱中した女性の話

私は小さなころから、海外で働きたいと思っていました。

小さい頃から英会話を学び、高校生からオーストラリアに留学するという気持ちの入れようです。

しかし両親は、子供のころの夢だけに絞ることを、とがめていました。

「海外で働くことは素晴らしい。しかし、他のビジョンを持っていたほうが良いのではいか?」というスタンスです。

私はその考えをあまり理解できずにいました。

海外で働く以外の働き方なんて、想像もつかなかったのです。

大学も、英語を学ぶため、英語科へ進むつもりでいました。

しかし両親は、関東にある「キャリアデザイン学科」へ進むことを提案。

壮絶なる親子喧嘩のすえ、私は渋々、キャリアデザイン学科を受験することに。

ただしそれでも海外で働くというなら、両親は「一切文句を言わない」と約束してくれました。

大学生活

私が進んだ大学の「キャリアデザイン学科」は、ものすごく充実したカリキュラムを持っていました。

とにかくさまざまな職業のことを、深く、そして広く知れるのです。

「海外で働く」ということだけを考えていた私ですが、「海外で、何の仕事をするのかが重要である」ということに気付きます。

(両親はその観点を持たせるために、キャリアデザイン学科に固執したのかもれません)

私はキャリアデザインを学ぶうちに、「シンガポールで、伸び盛りの業界働きたい」と考えるようになりました。

シンガポールは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで経済成長していました。

特に金融や資産運用、ITやインフラは、「バブル時代」どころの騒ぎではなかったのです。

私は大学2回生のとき、就職先は絶対にシンガポールにしようと決意します。

そして大学3回生冬、シンガポールの金融会社への就職が決定しました。

これで私の夢は、ひとつ叶ったことになります。

とはいえ、これがゴールではありません。

私はシンガポールでよりよい働き方を実現するため、大学時代から準備し始めます。

大学4回生のころ、半年間、シンガポールへ留学しました。

シンガポールは日本人と似た国民性を持っており、とても暮らしやすかったです。

また、日本の金融会社にも、インターンとして参加しました。

ここで金融業界のリアルを知っておけば、就職してからもスムーズに活躍できると考えたいたのです。

就職

大学を卒業し、私はシンガポールに移り住みました。

新入社員は120人程度。

世界中から優秀な人材を集めており、国籍はさまざま。日本人は、私を含めて3人しかいませんでした。

しかし、特に問題はありません。

シンガポールのビジネスシーンは、私が得意としている英語です。

さらにシンガポール一部地域で使われている「マレー語」も、ある程度喋れるような状態でした。

と、思っていたのですが、いざ働いてみると、全く思いどおりには行きません。

あまりにも周囲と能力差があったのです。

私は英語とマレー語を話せるだけで、金融の知識が全く足りていませんでした。

ことシンガポールの金融業界の知識は、かなり不足していました。

シンガポールで暮らしたこともあるし、金融会社でインターンしたこともあります。

しかしそれは、仕事上ではまったく役に立ちませんでした。

同期たちは、どんどんコミュニケーションを取ってパートナーシップを作っていきます。

彼らと私の間には、大きな壁があるように感じられました。

私はすっかり、落ちこぼれ社員となってしまったのです。

コーチとの出会い

憧れだった海外で働くというキャリアデザインを達成したはずの私は、すっかり落ち込んでいました。

一人だけ能力が低く、明らかについていけていませんでした。

しかしそんなとき、私は「コーチング」というものを思い出します。

実は私は、シンガポールに留学していた頃、「日本人ビジネスパーソン向け」のコーチングがあると知っていました。

私はそこで、コーチングを受けようと考えたのです。

コーチは、同じく金融業界で働いていた人でした。

そこで私は、シンガポールの金融業界について、詳しく教えてもらいます。

そして「多国籍企業での働き方」についても教わりました。

シンガポールという国で、しかも多国籍企業で働くということは、日本国内で働くことと全く違います。

今考えれば当たり前なのですが、私はそれを完全に見落としていました。

少しずつコーチングを経て、私は「シンガポールの金融ウーマン」として成長しました。

その後の様子とまとめ

コーチングを受け続けた結果、私はすっかり会社に馴染むことができました。

今では胸を張って、金融ウーマンであり、海外キャリアデザインを作り上げていると言えます。

固定の顧客も増えつつあり、着実に成果が上がり始めています。

コーチングを受けていなければ、私は泣く泣く日本へ帰ることになっていたかもしれません。

日本で働くことを考えていなかった私が日本で働いても、大したキャリアは作られなかったでしょう。

本当にコーチングを受けてよかったと思います。